森崎ウィンさんといえば、日本で活躍する外国人タレントの代表格として知られていますが、実は彼にまつわる大きな誤解があります。
多くの人が森崎ウィンさんをハーフだと思っていますが、実は違うんです!
今回は、森崎ウィンさんの意外な出自から、日本での苦労、そして華々しい活躍まで、彼の驚くべき経歴をご紹介します。
森崎ウィンさんの成功story、そしてミャンマー人として日本で夢を掴んだ彼の姿から、私たちが学べることは何でしょうか?
森崎ウィンの出自はミャンマー生まれの純血アーティスト

まず、大きな誤解を解いておきましょう。
森崎ウィンさんは、ハーフではありません。
両親ともにミャンマー人で、彼自身も生粋のミャンマー人なのです。
森崎ウィンさんの本名は「ウィン・チョウ・トゥー」。1990年8月20日、ミャンマーのヤンゴンで生まれました。
彼の家族構成は以下の通りです。
- 父親:世界を航行する船の整備士(現在は貿易会社経営)
- 母親:東京で事務員の仕事をしていた
- 弟:10歳年下
- 祖母(母方):英語教室を経営していた「大先生」
僕はミャンマー人の両親のもと、ヤンゴンで生まれ育ちました。父の仕事の関係で日本に来たのは、小学校4年生の時です。ミャンマーはタイの隣の国なので暖かいんです。
出典:telling
興味深いのは、森崎ウィンさんの幼少期のエピソードです。
生まれてすぐから10歳まで、ミャンマー・ヤンゴンで母方の祖母と2人暮らしをしていました。
祖母は英語教室を開いており、森崎ウィンさんは朝目覚めると英語の授業が聞こえてくる環境で育ちました。
この経験が、後の彼のトライリンガル(ミャンマー語、英語、日本語)としての才能の基礎となったのです。
森崎ウィンの言葉の壁を越えて日本での挑戦

森崎ウィンさんの人生の転機は、2000年3月頃にやってきました。
小学4年生の新学期前(9歳)に、森崎ウィンさんは日本に移住したのです。
しかし、日本での生活は決して楽ではありませんでした。
来日当初、森崎ウィンさんが話せた日本語は「こんにちは、ウィンです」「ありがとうございます」程度だったそうです。
言葉の壁は、学校生活にも大きな影響を与えました。
都内の公立小学校では深刻ないじめを経験しました。
特に印象的なエピソードとして、次のようなものがあります。
屋上で男子グループが追いかけっこをしているところに仲間に入ろうとしたところ、サッカーが得意でクラスの人気者だった男子を中心に「あっち行け」「入ってくんな」と追い払われ、蹴られました。
言葉は分からなくても、身振りや態度で仲間外れにされていることは理解できて、屋上の柵にもたれながらめちゃくちゃ泣いたと振り返っています。
仲間に入りたくて、隣で一緒に走ってみました。すると、「あっち行け」「入ってくんな」と追い払われ、蹴られました。
出典:読売新聞オンライン
しかし、森崎ウィンさんは決して諦めませんでした。
毎日放課後のサッカーで、誰もやりたがらないキーパーを引き受け続けました。
この姿勢が、徐々に周囲の態度を変えていきました。
ある日、最初は森崎ウィンさんをいじめていた子が、他の子から嫌がらせを受けている森崎ウィンさんを守ってくれたのです。
「ウィンは日本語がよく分からないんだから、そんな言い方しなくてもいいだろ」と言ってくれたことをきっかけに、その子と親友になったそうです。
森崎ウィンがスピルバーグ作品出演から日本アカデミー賞まで

森崎ウィンさんの芸能界入りのきっかけは、中学2年生の時の運命的なスカウトでした。
サッカーの試合の帰りに、当時好きだった女の子とのデートの待ち合わせで恵比寿のピーコックストア前に立っていた時にスカウトされたのです。
しかし、森崎ウィンさんの本格的なブレイクは、2018年のスティーブン・スピルバーグ監督作品『レディ・プレイヤー1』への出演でした。
このオーディションでは、驚きのエピソードがありました。
オーディション会場に入ると、なんとスピルバーグ監督自身がいたのです。
スピルバーグ監督が自らハンディーカメラを回して「オーケー、ウィン、レディー、アクション!」と言った瞬間、森森崎ウィンさんは頭が真っ白になってしまいました。
台本の台詞の代わりに、なぜか日本語で「卵取りに行こう!」と言ってしまったのです。
その後も森崎ウィンさんの活躍は続きます。
2020年には、映画『蜜蜂と遠雷』で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
最近では、2023年からミュージカル『SPY×FAMILY』でロイド・フォージャー役を演じており、2025年9月からは再演も決定しています。
さらに、森崎ウィンさんは国際的な活動も行っています。
2024年1月には、アフリカ・ウガンダのガヒザ村を訪れ、言葉や文化の壁を超えて音楽で繋がる国際交流イベントに参加しました。
「音楽の力の偉大さ、改めて実感した旅でした」と森崎ウィンさんは語っており、この体験を「一生に一度の経験」として挙げています。
まとめ
森崎ウィンさんの経歴は、まさに「ジャパニーズドリーム」を体現したものと言えるでしょう。
生粋のミャンマー人として日本に来て、言葉の壁やいじめといった困難を乗り越え、今や国際的に活躍する俳優・アーティストとなりました。
彼の成功story、そして多文化共生を体現する姿勢は、私たちに多くのことを教えてくれます。
- 困難に直面しても諦めない強さ
- 言語や文化の壁を超えてコミュニケーションを取る努力
- 自分のルーツを大切にしながら、新しい環境に適応する柔軟性
森崎ウィンさんの活躍は、これからの多文化共生社会のロールモデルとなるでしょう。
彼の今後の活動にも、引き続き注目していきたいですね。
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