栗原恵さんといえば、バレーボール界の「プリンセスメグ」として知られる元全日本代表選手です。
華々しい活躍で多くのファンを魅了してきた彼女ですが、その輝かしいキャリアの裏には、想像を超える苦難と挑戦がありました。
今回は、栗原恵さんの衝撃的なカミングアウトの真相から、現役時代の栄光と苦悩、そして40歳を迎えた今の幸せまで、激動の人生を詳しく紹介します。
栗原恵さんの知られざる一面に迫る、目が離せない内容となっています。
ぜひ最後までお付き合いください。
栗原恵の最大のカミングアウトは脳血栓の病気告白

栗原恵さんの「カミングアウト」として最も衝撃的だったのは、2020年1月19日のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」での告白でした。
そこで彼女が明かしたのは、なんと20万人に1人という稀な大病「脳静脈洞血栓症」を患っていたという事実です。
体調不良を理由に休養していた「空白の4カ月」の間に、20万人に1人の大病を患っていたことを初告白した。
出典:サンスポ
この病気は2016年9月、当時32歳だった栗原恵さんを襲いました。
発見も困難とされるこの病気により、彼女は緊急入院を余儀なくされたのです。
栗原恵さんは当時を振り返り、こう語っています。
「命以上に大事なものはない」という母の言葉に支えられました。
何万人かに1人というリスクがたまたま自分に降りかかったんです。
島から駆けつけてくれた母親からは『命以上に大事なものはないんだから、命を捨ててバレーボールをするようなことは絶対にやめて』と言われました。
出典:Number Web
興味深いことに、この病気の原因は競技のために服用していたピルの副作用である可能性が指摘されています。
栗原恵さんは4ヶ月間の休養を強いられ、チームを離脱。
しかし、ファンへの配慮から病気のことを公表せず、長らく秘密にしていました。
「ファンに何も説明せず申し訳ない気持ちがあった」と語る栗原恵さん。
この告白は、ファンへの誠実な対応であり、同時に自身の経験を通じて健康の大切さを訴える機会にもなりました。
栗原恵のプリンセスメグとしての栄光と苦悩

「プリンセスメグ」の愛称で親しまれ、華々しい活躍を見せた栗原恵さん。
しかし、その輝かしい表舞台の裏には、想像を超える苦悩がありました。
栗原恵さんは自身の現役時代を振り返り、「いつももがいていた」と語っています。
中学2年で地元広島を離れ、兵庫県の強豪校にバレーボール留学した栗原恵さん。
その時の心境をこう明かしています。
「転校してからはとにかく周りについていくのが必死で、早く上手くなって、このチームに追いつかなきゃという追われる気持ちが常に大きく、なかなか楽しいとは感じられていなかった」
全国的な人気を博した一方で、栗原恵さんは常に大きなプレッシャーと戦っていました。
転機となったのは、19歳で出場した2003年のワールドカップです。
代々木第一体育館での初戦、アルゼンチン戦。
栗原恵さんはこう回想しています。
「暗転して真っ暗になった控えエリアで試合開始を待っている時、カーテンを開けたらものすごい声援が聞こえてきた。スタンドにたくさんのファンがいるのも見えてきて一気に気持ちが高揚した」
この大会で「プリンセス・メグ」の愛称が全国に知られるようになりました。
しかし、栗原恵さんの競技人生で最も大きな挫折は、2012年ロンドン五輪の代表落選でした。
2009年に左膝半月板を断裂し、手術後も万全な状態に戻らない中での落選は、大きな心の傷となりました。
「あそこでバレーをやめるか、続けるか本当に悩みました。代表選手でなくなることで自分に何も価値がなくなってしまうんじゃないかと思ってしまった」
このように、栄光の裏には常に苦悩が付きまとっていたのです。
栗原恵の新たな幸せは40歳での結婚と妊娠

2024年9月18日、栗原恵さんは40歳で結婚と妊娠を同時発表しました。
お相手は5歳年下のモデル兼フォトグラファーの大越光貴(Kouki)さんです。
興味深いことに、栗原さんは交際が始まる前に「生涯独身」と母親に告げた2日後に彼との関係が始まったそうです。
まさに運命的な出会いと言えるでしょう。
栗原恵さんは40歳という年齢から、自身の妊娠・出産は難しいと考えていたようです。
交際開始時にも彼に「私とだと、年齢的にも、子どもを持つという幸せはないかもしれない…」と伝えていたそうです。
しかし、彼の「2人で一緒にいたいのに、なんで子どもの話をするの~?」という言葉に、栗原さんは「すごく気持ちがラクになった」と振り返っています。
妊娠が判明した際、栗原恵さんの母親は「授かれるタイミングがあるのなら、産んだほうがいいよ」と背中を押してくれたそうです。
私の母は、「授かれるタイミングがあるなら、産んだほうがいいよ」と背中を押してくれていました
出典:Benesse たまひよ
興味深いことに、母親は栗原恵さんが妊娠する前から「私が子どもを産むような気がしていて、性別まで予感していた」とのことで、その予感は的中したそうです。
2019年に34歳で現役を引退した栗原恵さんは、現在スポーツキャスターやタレント・モデルとして活躍しています。
新たな人生のステージを迎え、栗原恵さんの幸せな姿に多くのファンが喜びの声を上げています。
まとめ
栗原恵さんの「カミングアウト」の真相は、20万人に1人という稀な脳血栓の大病を患ったことでした。
同性愛に関する噂は根拠のないものだったのです。
現役時代、「プリンセスメグ」として輝かしい活躍を見せた栗原恵さんですが、その裏では常にプレッシャーと戦い続けていました。
そして40歳という年齢で、運命的な出会いを果たし、結婚・妊娠という新たな幸せを手に入れました。
栗原恵さんの人生は、輝かしいキャリアの影に隠れた苦難や挫折、そしてそれらを乗り越えて掴んだ現在の幸せなど、まさに激動劇的と呼ぶにふさわしいものでした。
彼女の歩んできた道のりは、多くの人に勇気と希望を与える素晴らしい物語となっています。
今後の栗原恵さんの人生にも、引き続き注目が集まることでしょう。
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