小泉孝太郎さんといえば、元首相・小泉純一郎氏の長男として知られる人気俳優です。
しかし、彼の大学時代や芸能界デビューまでの道のりについては、意外と知られていない部分も多いのではないでしょうか?
今回は、小泉孝太郎さんの大学生活や、そこでの経験が現在の彼にどのように活かされているのかを詳しく見ていきます。
二浪や中退など、波乱万丈な学生時代を経て、今や日本を代表する俳優となった小泉孝太郎さんの軌跡をたどってみましょう。
小泉孝太郎の大学生活とは?二浪の末の入学から中退まで

小泉孝太郎さんの大学生活は、決して平坦なものではありませんでした。
小泉孝太郎さんが入学したのは、日本大学経済学部Ⅱ部(夜間部)でした。
当時の偏差値は45程度で、現在は廃止されている夜間部に所属していました。
大学入学までの道のりも決して楽ではありませんでした。
小泉孝太郎さんは2年間の浪人生活を経て、1999年にようやく大学に入学しています。
実は、日本大学は彼の第一志望ではなく、滑り止めとして進学したという経緯があります。
大学生活について、小泉孝太郎さん自身は「100点中50点とっておけばいいや」という気持ちだったと語っています。
しかし、この時期に培った経験や人間関係が、後の俳優人生に大きな影響を与えることになります。
勉強は最低限でいいと思っていました。100点中50点取っておけばいいや、と。ただ、僕はなにか一つのことにすごく熱中するタイプなんです。
出典:朝日新聞 EduA
結局、小泉孝太郎さんは2001年に大学を中退することになります。
これは、彼が俳優としての道を歩み始めるきっかけとなった重要な転機でした。
小泉孝太郎の多彩なアルバイト経験が今に活きる

小泉孝太郎さんの大学時代、特に印象的なのが彼の多彩なアルバイト経験です。
小泉孝太郎さんは「世間を知りたい」という思いから、様々なアルバイトに挑戦しました。
その経験は、現在の俳優業にも大きく活かされています。
主なアルバイト経験には以下のようなものがあります。
- 解体工事のバイト(人生初のアルバイト)
- 祭りの焼きとうもろこし屋台
- 食品加工工場でのベルトコンベアー作業
。人生初のアルバイトは日給6800円の解体工事のバイト。さらに、お祭りの焼きとうもろこし屋台や、ベルトコンベアーから流れてくるパンにバナナを乗せるバイトなどを体験した。
出典:スポニチ
特に解体工事のバイトは、小泉家の先祖がとび職人だったことに憧れて始めたそうです。
日給6,800円で、ニッカポッカを履いて作業するという、俳優になる前には想像もできないような経験をしています。
食品加工工場でのバイトでは、ベルトコンベアーから流れてくるパンにバナナを乗せる作業を担当しました。
友人に誘われて始めたこのバイトは、単調な作業の中にも集中力が必要な経験だったそうです。
アルバイト時代のエピソードとして、小泉孝太郎さんは次のようなことを明かしています。
- 名前がバレることがあっても、素知らぬ顔で通していた
- 「横須賀です」と住所を隠すことはしなかった
- 先輩から「小泉純一郎も横須賀だな」と言われると「そうみたいですね~」と返答
- バイトでの愛称は「なんてったって小泉」(小泉今日子の楽曲にちなんで)
これらのアルバイト経験を通じて、小泉孝太郎さんは様々な人々と出会い、多様な価値観に触れることができました。
この経験が、現在の俳優としての演技の幅を広げ、人間性を豊かにする基盤となっているのです。
小泉孝太郎の大学中退から芸能界デビューまでの道のり

小泉孝太郎さんの芸能界デビューは、大学中退と密接に関連しています。
2001年、小泉孝太郎さんの父・純一郎氏が内閣総理大臣に就任したことが、彼の人生の大きな転機となりました。
この出来事をきっかけに、小泉孝太郎さんは複数の芸能事務所から注目を集めることになったのです。
しかし、小泉孝太郎さんが俳優を志したきっかけは、もっと以前に遡ります。
幼稚園時代に映画「E.T.」を見て感銘を受けたことが、エンターテインメントの世界に興味を持つきっかけとなったそうです。
大学在学中の2000年には、「21世紀の石原裕次郎を探せ」オーディションに挑戦しています。
残念ながら二次審査で落選してしまいましたが、この経験が彼の俳優への道を決定づけたと言えるでしょう。
芸能界デビュー後、小泉孝太郎さんはいかりや長介さんとの秘密の師弟関係を築きます。
いかりや長介さんから演技の基礎を学び、現場での振る舞い方なども教わりました。
この経験が、小泉孝太郎さんの俳優としての基盤を築いたのです。
いかりや長介さんとのエピソードには、以下のようなものがあります。
- いかりや長介さんから「俺は長男だけど、孝太郎は末っ子だ。そういう関係でいこう」と言われる
- 師弟関係は秘密だった:「俺が死ぬまでは誰にも言わないでくれ」と約束
- 港区六本木の一風堂ラーメン店で長時間語り合う(10時~朝まで)
- いかりや長介さんの台本を見せてもらい、細かい書き込みに感動
- 「演じるってここまで考えるんだ」ということを学ぶ
- 現場では「うちの新人の小泉孝太郎っていうんだけど、ひとつよろしく」と頭を下げて紹介してくれた
小泉孝太郎、“師匠”いかりや長介さんから「俺は長男だけど、孝太郎は末っ子」関係性明かす
出典:日刊スポーツ
これらの経験を通じて、小泉孝太郎さんは俳優としての基礎を固め、芸能界での第一歩を踏み出しました。
まとめ
今回は、小泉孝太郎さんの大学生活と、そこから芸能界デビューに至るまでの道のりについてお伝えしました。
小泉孝太郎さんは日本大学経済学部Ⅱ部に二浪の末入学し、多彩なアルバイト経験を積みながら、最終的に中退して俳優の道を選びました。
大学時代の経験、特に様々なアルバイトでの体験が、現在の俳優としての活動に大きく活かされています。
また、いかりや長介さんとの秘密の師弟関係は、小泉孝太郎さんの俳優としての基礎を築く上で非常に重要な役割を果たしました。
小泉孝太郎さんの波乱万丈な学生時代と、そこから得た経験が、今や日本を代表する俳優としての彼の活躍を支えているのです。
これからの小泉さんの更なる活躍に、ますます期待が高まりますね。
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