お笑い芸人やラジオパーソナリティとして活躍する伊集院光さん。
実は彼には、多くの人が知らない過去がありました。
それは、中学・高校時代に経験した不登校です。
今回は、伊集院光さんの不登校体験と、そこから生まれた「攻めの登校拒否」という独自の考え方について詳しくお伝えします。
不登校経験者や、そのご家族の方々にとって、新たな視点や希望を見出すきっかけになるかもしれません。
伊集院光の不登校体験の詳細

伊集院光さん(本名:篠岡建、1967年11月7日生)は、小学生の頃から度々不登校になる子どもでした。
特に中学・高校時代において、より深刻な不登校状態に陥りました。
小学生の頃から、伊集院光さんは頻繁に学校を休むようになりました。
家にいる時間が増えた彼は、NHK教育テレビを見続けるようになります。
「午前中他にやることなかったから」と後に語っていますが、この時期に得た知識が、後のタレント時代のクイズ番組で大いに役立つことになります。
子ども時代の僕はわりと頻繁に不登校になる子だったので、家にいてNHK教育テレビをやたらと見ていました。そこで得た知識を武器にタレントになってからクイズ番組に出ていると言っても過言ではないほどです。
出典:NHKアーカイブス
高校時代には、不登校がより深刻化します。
高校受験に失敗し、望んでいたレベルの高校への進学が叶わなかったことが大きな要因でした。
この挫折感から、伊集院光さんは可能な限り学校に行かなくなり、3年生の時にはほぼ学校には通わなくなりました。
不登校時代の伊集院光さんは、様々なユニークなエピソードを残しています。
例えば、学校に行くのが憂鬱で無意識のうちにジグザグに歩いて遠回りをしたり、家族にバレないよう体育着をわざと汚したりしていました。
「攻めの登校拒否」とは何か

現在、伊集院光さんは自身の経験を踏まえ、「攻めの登校拒否」という考え方を提唱しています。
これは、不登校を単なる問題としてではなく、新たな可能性を見つける機会として捉える視点です。
「攻めの登校拒否」の主な特徴は以下の通りです。
- 家にいるより外に出て、学校以外の場所で見識を広げる
- 「不登校=引きこもり」ではないという認識
- スポーツクラブや習い事など、学校以外の活動は積極的に行う
伊集院光さんは、不登校の原因について独自の見解も示しています。
「不登校の原因がスマホやゲームってホントかね。ゲームがなかった時代に学校行かなかった僕は、やたら教育テレビ見てたよ。午前中他にやることなかったから。深夜は本読んでた。本と教育テレビが不登校の原因ではなかったなあ。先に学校行きたくないところからだと思うぞ。今も」
伊集院光、不登校に対して「攻めの登校拒否」を提唱 自身の学生時代に実践
不登校から落語家への転身

伊集院光さんの人生における大きな転機は、1984年に訪れました。
17歳の時、不登校がちだったことを案じられて、叔父の知り合いである「吉河さん」の紹介で三遊亭楽太郎(後の六代目・三遊亭円楽)に弟子入りしたのです。
この出会いのきっかけは、実は不登校中の暇つぶしにありました。
ゲームセンターや寄席に通う伊集院光さんの姿を父親が見かけ、落語に詳しい人を紹介したのです。
高校3年生の2月に中退した伊集院光さんは、三遊亭楽大として落語家活動を開始。
1985年9月10日、寄席若竹で初高座を踏みました。
1984年に三遊亭楽太郎(6代目三遊亭円楽)に弟子入りし、落語家・三遊亭楽大として活動。1987年ごろから伊集院光としてタレント活動をはじめ、ラジオを中心に人気に。
出典:朝日新聞
この経験は、不登校が必ずしもネガティブな結果につながるわけではないことを示す好例といえるでしょう。
まとめ
伊集院光さんの不登校体験から、私たちは多くのことを学ぶことができます。
1. 不登校は必ずしも人生の終わりではありません。
むしろ、新たな可能性を見つける機会になる可能性があります。
2. 「攻めの登校拒否」の考え方を取り入れ、学校以外の場所で積極的に活動することで、新たな才能や興味を発見できるかもしれません。
3. 親や周囲の大人は、不登校の子どもに対して過度に干渉せず、安心できる居場所を提供することが重要です。
伊集院光さんは親に対して、「全部俺のせいにしていいよ」と子どもに責任転嫁の場を与えることや、むやみに詮索したり叱ったりせず、「行かなくてもいいよ」というメッセージを伝えることを提案しています。
不登校は確かに困難な経験かもしれません。
しかし、伊集院光さんの例が示すように、それを乗り越え、新たな可能性を見出すチャンスにもなり得るのです。
大切なのは、不登校を単なる問題としてではなく、新たな扉を開く機会として捉える視点を持つことかもしれません。

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