オカルト界の重鎮として知られる三上丈晴さん。
月刊「ムー」の編集長として20年以上活躍し続ける彼の経歴が、実は想像以上に凄いものだということをご存知でしょうか?
理系出身でありながら、オカルトの世界で頭角を現し、独自の哲学を展開する三上丈晴さん。
今回は、その驚くべき経歴と、彼が語る「哲学はすべての学問の源」という名言の真意に迫ります。
三上丈晴の驚きの経歴とは

三上丈晴さんは、1968年9月9日に青森県弘前市で生まれました。
現在57歳の彼ですが、その経歴を紐解くと、意外な一面が次々と明らかになります。
まず驚くのは、三上丈晴さんの学生時代の姿。
筑波大学自然学類で物理学を専攻していたのです。
朝永振一郎先生の後を継いだ研究室に所属し、バリバリの理論物理学を学んでいたという事実は、現在のオカルトな仕事とは対照的で非常に興味深いものです。
当時の第1学群、朝永振一郎先生の後を継いだ研究室に所属していました。バリバリの理論物理ですね。
さらに、学生時代は意外にも体育会系だったことも注目に値します。
高校時代はバレーボールで地区大会優勝を経験し、大学では100人規模のバレーボールサークルに参加。
その後、ワンダーフォーゲル部で登山や川下りに熱中するなど、アクティブな一面も持ち合わせていたのです。
三上丈晴が理系出身から月刊「ムー」編集長へ

三上丈晴さんの経歴で最も興味深いのは、理系出身でありながら、どのようにしてオカルト雑誌の編集長になったかという点でしょう。
1991年、バブル期の就職戦線を勝ち抜き、学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社した三上丈晴さん。
最初は『歴史群像』編集部にわずか3か月配属された後、入社半年で運命の『ムー』編集部に異動となりました。
1991年、学習研究社(学研)入社。『歴史群像』編集部に配属されたのち、入社半年目から「ムー」編集部。2005年に5代目編集長就任。
出典:JSA GROUP
実は三上丈晴さん、中学1年生から『ムー』の愛読者で、読者投稿欄の常連だったという根っからの「ムー」ファンだったのです。
これは後に編集長となる運命的な伏線だったとも言えるでしょう。
2005年に5代目編集長に就任してからは、UFO、UMA、古代文明、都市伝説など、科学的でないと批判される分野を「哲学雑誌」として位置付け、独自の編集方針を貫いています。
三上丈晴の世界観を哲学的思考で語る

三上丈晴さんの特徴は、単なるオカルト好きではなく、理系出身の知識と哲学的思考を基盤とした独特の世界観を持つ点にあります。
「科学的でない」という批判に対して、三上丈晴さんは「哲学はすべての学問の源」という名言を掲げ、多角的な視点の重要性を説いています。
この考え方は、彼の編集方針にも大きく反映されています。
哲学はすべての学問の源。博士号だって、英語だと分野に関係なく「Doctor of Philosophy」ですよね。哲学には宗教学と思想と美学があって、そのうちの思想の中に科学という概念がある。
三上丈晴さんは、『ムー』を通じて読者に多様な視点での思考を促すというユニークなスタンスを貫いています。
これは、理系の論理的思考と哲学的な探究心が融合した結果と言えるでしょう。
また、三上丈晴さんの活動は雑誌編集にとどまりません。
テレビ番組やYouTubeへの出演、著書の執筆、さらには国際未確認飛行物体研究所の所長就任など、多岐にわたる活動を展開しています。
これらの活動を通じて、三上丈晴さんは常に「考える」ことの大切さを訴えかけています。
彼の言う「哲学はすべての学問の源」という考えは、まさにこの姿勢から生まれたものと言えるでしょう。
まとめ
三上丈晴さんの経歴は、一見すると矛盾に満ちているように見えるかもしれません。
しかし、理系の知識と哲学的思考を基盤に、オカルトの世界で独自の地位を築き上げた彼の姿は、まさに「哲学はすべての学問の源」という言葉を体現しているといえるでしょう。
57歳となった現在も精力的に活動を続ける三上丈晴さん。
オカルト界のみならず、メディア業界全体に大きな影響を与え続けている彼の今後の活躍にも、大いに期待が寄せられています。
三上丈晴さんの経歴と哲学は、私たちに「考える」ことの重要性を改めて教えてくれているのではないでしょうか。
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