石原裕次郎の嫁は愛の人!夫の成功を影で支えた献身的な愛情深さの理想的な妻?

石原裕次郎さんといえば、昭和を代表する大スターとして今なお多くの人々に愛され続けています。

そんな石原裕次郎さんの人生を支え、共に歩んだ女性がいます。

それが妻の石原まき子さんです。

今回は、石原裕次郎さんの嫁として知られる石原まき子さんの献身的な愛と、二人の波乱に満ちた人生についてご紹介します。

トップ女優から専業主婦へ、そして夫の闘病を支えた妻の姿は、多くの人々の心を打つものがあります。

石原裕次郎さmmと石原まき子さんの愛の軌跡を、エピソードを交えながら紐解いていきましょう。

目次

石原裕次郎と嫁の石原まき子との運命的な出会い

石原裕次郎さんと石原まき子さん(旧芸名:北原三枝)の出会いは、まさに運命的なものでした。

1956年、日活スタジオで二人は初めて出会います。

当時、石原まき子さんはすでに日活のスター女優として活躍していました。

一方の石原裕次郎さんは、まだ無名の新人俳優でした。

しかし、石原まき子さんは石原裕次郎さんが放つオーラに圧倒され、たちまち恋に落ちたのです。

驚くべきことに、石原裕次郎さんもまた高校時代から映画「君の名は 第二部」で石原まき子さんを見て以来の大ファンだったのです。

実は石原裕次郎さんは、プロデューサーに「北原三枝さんに会わせてほしい」と頼んでいたほどでした。

映画「狂った果実」の主役オファーを受けた際、石原裕次郎さんは最初乗り気ではありませんでした。

しかし、相手役が北原三枝さんと聞き、一転して出演を快諾したのです。

こうして二人の運命的な出会いが実現し、やがて恋愛へと発展していきました。

石原裕次郎と嫁の石原まき子の献身的な妻としての生活

出典:X

1960年、トップスター同士の恋愛がご法度だった当時、二人は駆け落ち同然でアメリカへ逃避行します。

石原まき子さんは後に振り返って、こう語っています。

「周りのスタッフさんたちは認めてくれましたが、会社が認めなかったんです。でも、どちらを選ぶかとなったら石原裕次郎さんを選ぶ。会社に抵抗して実力行使です。」

当時の芸能界はトップスター同士の結婚はもちろん、恋愛すらもNGという風潮。そんな閉塞(へいそく)感の中、ひそかに交際をしていた二人は、なんと駆け落ち同然のアメリカ婚前旅行へ。

出典:フジテレビ

帰国後、約200名もの報道陣が待ち構えており、この時の謝罪会見が日本で初めての謝罪会見だったと言われています。

結婚時、石原裕次郎さんは石原まき子さんに「結婚の約束」を交わしました。

「お酒は飲みます」「お友達は家へたくさん来ます」「ネオン街から足は洗いません」

石原まき子さんはこの約束を守り続けましたが、慣れるまでに8年もかかったそうです。

結婚後、石原まき子さんは女優業をきっぱりと引退しました。

その理由について、こう語っています。

「主婦ですからね。結婚して、素人に戻りました。お掃除も洗濯も大好き。女優をしていたときも、自分のものは洗濯をしていましたから。」

「女房は、結婚したら家にいるものだ、ということです。それが私たちの年代なんです。嫁いだら、もう、その家の主婦にならなければならないという、ごく平凡な家庭に育ちましたから。」

女房は、結婚したら家にいるものだ、ということです。それが私たちの年代なんです。嫁いだら、もう、その家の主婦にならなければならないという、ごく平凡な家庭に育ちましたから

出典:文春オンライン

石原裕次郎の闘病生活を支えた妻の愛

出典:X

1978年に石原裕次郎さんが舌がんになり、1981年には解離性大動脈瘤(手術成功率わずか3%)という命に関わる病気と闘いました。

石原まき子さんは入院中、1日も自宅に戻ることなく病院に泊まり込んで看病を続けました

退院後の食事制限は特に過酷でした。

石原まき子さんは次のように振り返っています。

「1日の塩分の摂取量が6グラムと言われ、一番気を遣いました。6グラムってラーメン1杯をおつゆまで飲んだのと同じ量。料理が一番苦労しましたね。」

「毎回、自然食の食材を買って作ってねえ。夜の食事を終えたら、裕さんを寝かして次の日の献立を考えて…。それが6年続いたの。1日に3時間寝られればいいほうだったのよ。」

石原軍団のメンバーたちも、石原まき子さんの献身的な看病を支えていました。

神田正輝さんや舘ひろしさんが後に明かしたエピソードによると、塩分制限のため味が薄くておいしくない石原まき子さん手作りの食事を、石原裕次郎さんの代わりに食べていたことがあったそうです。

石原まき子さんは後にこの話を聞いて、「裕さんには良いお仲間がいたのよ」と感謝の気持ちを表しています。

まとめ

石原まき子さんは、トップ女優としてのキャリアを捨てて愛を選び、夫の成功を影で支え続けた昭和の理想的な妻像を体現した人物です。

特に石原裕次郎さんの闘病期間中の献身的な看病は、夫婦愛の深さを物語る感動的なエピソードとして今も語り継がれています。

結婚生活は約27年間と決して長くはありませんでしたが、その間に見せた愛情の深さと献身ぶりは、多くの人々に感動を与え続けています。

石原裕次郎さんと石原まき子さんの愛の軌跡は、時代を超えて私たちに真の愛の形を教えてくれるのではないでしょうか。

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